よりよいもの、よりよい結果にとらわれていたら緊張の連続です

なんでもやってみないとわからない、私はいつもそうやって生きてきたと思います。50年、近く生きてきてどれもこれもゴール、夢だと思ったもの、やってみたかったこと、結果的に全部やり、どれも今、続けていませんが、やったので後悔もありません。お金を損したり、失ったり、だまされたことさえ、必要な学びに払ったなと思うだけです。

浮かんできたアイディア、それをしないといつまでも縛られ、考え続けます。それよりも、結果がどうであれやってみればもう浮かんでくることもありません。平和です。浮かんでくるアイディアをいつまでも考えている、動きを止めた状態で私は嫌です。友人が「数百万を使って妊娠しようとしたけどできなかった、でもやるだけやったからもういいのと」と先日言ってたけどそれと同じ境地です。

本当に結果はどうでもいいことで、やってみると想像もしなかったことも受け取ります。レストランを始めたり、家を引っ越したりすれば、これまでに存在すると知らなかった問題に直面します。こんなにお金を払ったのに風で家が揺れるなんて思わなかったというのもその1つで、今は揺れても崩壊しなければよしとしようと思えます。

何かを変えればよりよいもの、よりよい結果ではなく、存在すると知らなかった問題にも出会えるし、知らなかったことを知る、楽しい、エキサイティングと最近は思います。何よりも手放せます。よりよいもの、より良い結果にとらわれていたら緊張の連続です。緊張し続ける、年をとった脳、体にストレスです。

経験をすればするほどこうじゃなくちゃ、ああじゃなくちゃというのもなくなります。非現実的な思い込みもなくなります。すべてにあらゆる側面があることを気づけるので人の問題、社会の問題に感情的な反応もなくなります。

伊藤仁彦