自分を知るのが怖い、いつまでも闇は自分にないとふたをし、その闇に苦しめられるだけです

頭のいい人ほど、満点、完璧を目指し、ゴール、形を達成しようとします。それが人生のすべてにいおいて癖になっています。多くの場合、知識をもっと増やすか努力して何か明確に達成しようとします。
 
この仕事をして12年以上、経過します。その中でいろんな言葉、エネルギーに触れてクリアになりつつあることは、すべての人が闇と光の両方があるということです。私も意地悪だし、嫉妬もするし、上から目線だったり、ずるしたい、私の方が知っているという自分もいますが、役に立ちたい、楽しみたい、喜びたいという自分もいます。あらゆる自分がいるのです。
 
今、海外にいる知り合いにあそこに行ったら?ここに行ったらとメールしようと思いましたが、その動機に正直になれば私はあなたよりも知っているでしたし、本人からたずねられてないのに言う必要ないなって思いました。自分の闇もちゃんと知り、受け入れればそれを使わない選択ができます。
 
過去の成功体験で生きてきた人たち、完璧、100点満点を目指すことをすり込まれすぎて完璧、満点とは闇のない状態と思いすぎているのかなと思います。私にはそんなものはない、私は光でしかないと闇を無視し、無視し、闇で反応した時には自分を責める、ストレスであり、自分への虐待です。かつ、過去のやり方で頑張ることが好きな人たちはスピリチュアルに取り組むことで何かつかめると思っている期待が大きい気がします。つかめる何かは、もしかしたら名声かもしれないし、恋人かもしれないし、なんかの明確な形があると思い込んでいる気がしますが、私は、スピリチュアルに取り組めば取り組むほど問題がなくなるのではなく、問題があってもしがみつかずにもっと楽に今を生きられるということだと思います。
 
いろいろ取り組んだんでもう怒りも心配もありませんと言う人もいますが、そんなのあり得ますか?いろいろ取り組めばなくなるというゴールがバランスが欠如していると思います。闇はネガティブで悪い、光はポジティブでよい、それも狭い定義じゃないでしょうか?あらゆる状況でどれを選択するかということが自分の責任に目覚めたということだと思いますし、できるときもできないときもあります。
 
すべての人に闇も光もあり、そのどれもがバランスと成長をもたらすために必要なツールであることを受け入れた時にのみ、自分との摩擦が少しずつ減り、バランスを実現するのではないでしょうか?
 
怒りで反応し続ければ相手の怒りを刺激し続けます。それでいて、人間関係が苦手、人が嫌いと言うのではなく、怒りで反応する傾向のある自分を認め、知り、怒りで反応しないことでこれまでとは違う人の反応に直面するって進歩じゃないですか?成長であり、進化じゃないですか?自分を変えれば楽なんだ、自分を変えればうまく行くんだと経験から知ることができます。自分が放ったもの、ポジティブに見えても根っこがネガティブであればそのブーメランに自分が傷つくと最近、思います。動機にクリアになり、選択をしなければ自ら大変なものを招くだけです。親切さも上下、優劣がベースになっていれば、それが返ってくるだけです。
 
自分を客観的に伝えてもらってください。それも大事です。自分を知るのが怖い、いつまでも闇は自分にないとふたをし、その闇に苦しめられるだけです。
 
伊藤仁彦