正直に真実を伝えられることは怖く、厳しいのでしょうか?

レーネンさんのウェブカムをやっていると、終わったあとにレーネンさんは怖く、厳しい人だと思ったと言う人がいますが、レーネンさんは有名な人だろうと、一般の人だろうとスピリットワールドの言っていることを正直に伝えているだけです。ブログの内容、ワークショップでもスピリットワールド、宇宙が言っていることをチャネルしているだけです。

みゆきさんも同じです。みゆきさんは怖い人だと思ったとか、みゆきさんは真実を言っているだけです。みゆきさんの主観の話ではなく、スピリットワールドがそう言っているから書いたり、話しているだけです。真実から目を背けさせるのがやさしいサイキックカウンセラーではなく、伝えられるままのエネルギーを主観で変えることなく伝えるのが仕事です。仕事仲間だから、あなたには甘くしとくねなんてレーネンさんもみゆきさんもありません。今のあなたはとただ真実を告げてくれます。

たとえば、私は重病で死にますか?という質問を突き付けられたとき、レーネンさんであれ、みゆきさんであれ、人として苦しいと思います。しかし、自分の主観、感情を律し、スピリットワールドが伝える真実を告げることに取り組みます。質問をされれば、この可能性に関して見てくださいという許可を相手に与えます。それに対して感情、主観を排除し客観的にスピリットワールドの回答を伝えているのです。

正直に真実を伝えられることは怖く、厳しいのでしょうか?傷つくだろうからと主観を混ぜて嘘を言われることがやさしさなのでしょうか?真実を書き、伝えると吠えるという表現をされたりもしますが、主観を混ぜて嘘を言われ、そのまま時が過ぎ、気づいたときに現実に直面する、そちらの方が私は酷だと思います。私も含め、すべての人に課題があります。課題があるから生きています。真実を突き付けられてこそ、そういうものに取り組めるのではないでしょうか。真実は愛であり、真実だけが救いだと思います。

伊藤仁彦