私が思うのはIBOKのイベントでどれだけ自分ができているかを知ろうとするバロメーターとして使いすぎじゃないでしょうか

人生は年齢を重ねるごとに本当に必要ではないものはそぎ落とすことだとレーネンさんを見ていて思います。いつまでも家族が心配だからこうする、家族への義務、責任があるからお金のために一生懸命に働く。義務、責任、ものにあふれる、本当の自分を生きることから遠のくだけです。死ぬまで変化と成長に使うか、いろんなものをぶら下げて変化と進化はしないか、それぞれの意識的な選択だと思います。
 
必要なものだけで生活をし、いつでも身軽に変化し、感じるがままに移動していく、死ぬまでそうやって生きるためにも本当の自分ではない過去のすり込み、使わないもの、必要のない人間関係、仕事、あらゆるものをそぎ落とす、本当に大切だと思います。自分以外の人、家族であろうが義務も責任も負わない、経験をたくさんしてもういいやって完了することも大切です。人の人生に首を突っ込んだり、いたるところで感情をぶつけ爆発したり、ネガティブを放ってネガティブを受け取ったり、面倒なものを自らくっつけるだけです。
 
今回、レーネンさんが来日してまた引っ越すなんて初めて知りました。まだまだ進む、そうやって笑って話す姿を見て、私も年をとってもそうやって生きていこう、この生き方を見本にしようと思いました。
 
オレゴンのイベントが今回で終わりのように、いつまでもいつまでもIBOKがあるわけじゃありません。みゆきさんだってもう違うと思えば違う道を進むでしょうし、いつまでも人の期待に応え、お金のためにやろうなんて人じゃありません。今しかありません。
 
こうやって先に進んでいこうとするレーネンさんに会えるのもまたの機会があるのかどうかわからないのです。レーネンさんが放つエネルギーに触れておく、これからの未来のあらゆることに対処するためにも大切だと思います。私にはインスピレーションであり、何があってもこうやっていこうという模範です。
 
みなさん、私が思うのはIBOKのイベントでどれだけ自分ができているかを知ろうとするバロメーターとして使いすぎじゃないでしょうか。できていないと自分はダメと烙印を押し、責める。それは、イベントに行って私は完了しました、できました、完璧になりましたと、卒業しますというプロセスがあるはずだという幻想の裏返しです。完了しました、できました、完璧になりました、卒業しましたなんてものがあるなら、もう生きていないんじゃないでしょうか?できても、できなくてもいいと思います。行動していても行動していなくてもいいと思います。ただ、エネルギーを感じておく、そうするといつか必要な時にこれだというものが出てきたり、行動できると思います。
 
私は、もう15年以上前に翻訳した言葉、今さらになってこういうことかも、ああいうことかもと実感するのです。人生の経験とともにまた理解がともなっていくと思います。この分野は不得意だからいいのですと言っていた私が、予期せずにその分野経験を与えられ、学ばされたことも多々あります。完了しました、できました、完璧になりましたと、卒業しますなんてないと思います。
 
伊藤仁彦