真実の暴露合戦

今、世の中は暴露合戦です。先日の選挙もいろんな新しい政党が、私たちはいろんな真実を伝えますと言っていましたが、どれが真実であり、どれが真実でないにしろ、結局は争いのエネルギーを創造していると私は感じました。

今、それぞれが自分には合うのか、合わないのか、自分で決めるしかありません。私はワクチンを打ってません。誰かが言った、言わないじゃなく、ワクチンを体に入れたときの感覚が私には耐えられない気がするのと、53になる自分がこれを実現したい、これを避けたいなんて自分の願いの人生から離れたいからです。残りの人生、本当に値するもの、それがどんなものであれ受け取るつもりです。与えられるもの、招かれるもの、それがどんなものであれ値するし、必要なのだという人生を生きるチャンスを自分に与えたいのです。怖いものはないことを自分に証明するチャンスでもあります。

子供の時からその真逆を生きてきた、今度はその逆を生きるチャンスだと思います。喪失が実現してもそれも悪いことじゃないし、必要なんだっていう人生を生きるためです。起きてもいない何かにおびえるような人生とは決別をしたいのです。自分の中に平和と自由を生きたいだけです。

しかし、ワクチンを打つ人はそれでいいし、間違っているとも思いません。自分に適切なら打てばいいし、適切じゃないなら打たないだけであり、誰かが言ったから打つ、誰かが言ったから打たないというのも違う気がします。これまで、誰かに決めてもらう、政府、社会が言っているからこうする、それがあらゆる歪みと恐怖を創造したと思いますし、政府、社会に力を与えてしまった原因だと思います。

ある人にとっての真実はある人にとっての真実じゃないし、あの人はこんなことをしていますって暴露をしても、あの人にこんなことをされたい人たちもいるわけであり、あの人がやっていることを自分は嫌なら、あの人に関わらない選択もあります。真実の暴露合戦に参加する、真実を隠ぺいする側、暴露する側、結局、同じエネルギーを生きているだけじゃないでしょうか。

政府、社会ではなく自分たちに力を取り戻したいなら、それぞれがそれぞれに真実を感じることを生きていくしかない気がしますが、過去と同じように誰が悪い、誰が汚い、何も新しいものを創造していない気がします。

伊藤仁彦