生ききる

IBOKのやっていること、バランスのためにこの人生の本当の目的を生きるということだと思うのですが、この人生の本当の目的とは逆を生きてもいいと思います。直感を生きればわくわくがあって、理想の仕事、人、お金と出会えてっていうアイディアがあるのなら、それをとことん目指すのもいいし。

もちろん、直感をすでにこうなるだろう、ああなるだろうという期待に変えている時点で直感のピュアなエネルギーからすでに外れていると思いますが、それでもいいと思います。とにかく、とことんやりきるってことじゃないでしょうか?責任が取れるなら何を選択しても本当にいいと思います。遠回りする道が好きな人もいれば、最短で行く人もいるし、それぞれじゃないでしょうか?

完璧な聖人のような自分になるというものがあるなら、それをとことん目指してみればいいのではないでしょうか?お金持ちになりたい、もてたい、上から目線で人を指導したいと思うなら、それもいいと思います。すべて本気でやりきる、その時にじゃあどうするか?結局、すべての人が本当の目的にこの人生かどこかの人生で向かわざるを得ないし、本当の目的への道へのプロセスにすべての人がすでにいるんだと思います。

レーネンさん、新しい形、道で生ききるつもりなようです。本人もこんな形、道でやるとは思っていなかったのではないかと思いますが、数年前からのみゆきさんが描いている絵を見ると知っていたような気がします(この話はあまりに壮大ですが、あまりに具体的なのでいつかしようとは思います)。私、個人的にはレーネンさんが何を選択してもかまいませんが、新しい形、道がクリアに示されている以上、レーネンさんの魂はやりなさいということだと思いますし、本人がやりなさいという魂のエネルギーを感じているからこそ、自分を信じてまたやるのだと思います。本当にタフな人だと思います。

バランスのための道はたとえ高齢で地獄のような状況に直面しても、それを嘆き不満を生きるか、そこからまた這い上がるかを突き付けているのでしょう。もちろん、いろいろ考えると不安もあるでしょうが、自分のエネルギーはまだまだやると言ってるなら、這い上がるという選択ができるのだと思います。

バランスのための道、それは私たちの願い、思いで終わったり続いたりするものじゃありません。終わっても続いても、それに対処するための方法、あり方、私たちが分かち合っているものはそれです。バランスの道をコントロールする方法じゃありません。過去とはもう違う、全体のバランスという観点でそれぞれが生きていく時代に自分のエネルギーを感じ、自分をベースに選択した方がをもっと楽に生きる方法だということでもあります。

私たちのやっていることをどれが正しいか、どれが安全か、どれが完璧か、どれが得で損をしないか、なぜかという過去の生き方、あり方を継続するために使うのではなく、どのレベルで生ききるかということを選択するチャンスに使うことができます。魂の意図に進みたいという人もいれば、エゴの意図に進みたいという人もいるでしょう。結局どちらを選択してもよく、選択をし、前進するためのツールとしてお使いください。エゴを選択するのが悪いことじゃなく、それもプロセスの道ですし、それに全力でまい進すればいいだけだと思います。最も悲しいなと思うのは、サイキックの誰々がこれが合う、成功するって言ったからこれをやるみたいな、自分は信頼しないってことなんだなっていうことじゃないでしょうか。

レーネンさんは、もうやだ、止めたい、去りたいじゃなく、まだまだ進むという選択をしました。この選択がどこに導くのかわかりませんが、生ききるという選択には間違いありません。生ききった時、彼はすっぱりと去っていくでしょう。私たちもこの人生をすっぱりと去るのか、こうすればよかった、ああすればよかったを生きるのか、魂であれ、エゴであれ、選択だと思います。

エゴであれ、魂であれ、自分に正直になり意識的に選択をすれば経験に必要な出来事、出会いを招きます。それこそ、バランスのためのチャンスです。どんな嫌な経験をしても、じゃあどうするのっていう選択のチャンスがまた与えられます。違うと感じたら、そこで感じるを使ってまた違う選択をすればいいし、すべての選択と経験はバランスを実現する素晴らしいチャンスだと思います。経験をすればするほど、いい悪いはない、すべては同じところへただ向かっていることを知る気がします。

伊藤仁彦