☆角田みゆきの過去を一掃するために知るべきあなたの過去世~過去のエネルギーを一掃するために体の歪みから魂の歴史を知り、バランスを実現する~のお申込み
始まりました。
「魂の経験値からすれば、今回の人生は過去のどの人生よりも自信のエネルギーに満ち溢れて生きているはずだった。
人間が自分と同じ人間を見下し、自分と同じ人間を崇め、地球のものである土地、資源の所有権を巡って、争い、殺し合う“姿”は、過去最多最大を今も更新中だ。もちろん、魂と離れ生命が維持できるギリギリのエネルギーで生きている人間の数も過去最多を更新中である。
人間が、人間の自らの人生を最先端医療/技術、進化によって得られた“豊かさ”によって生きづらくしているのだ。この生きづらさも水面下で過去最大を更新中である。
驚異的なのは、生きづらささえ感じなくなっている人間が増えている点だ。これも時代の節目、いや、時代、地球、世界、生物(人類)が急速に変化している証だろう。
これにより、過去のエネルギー、アンバランスさの浮上が尋常ではない(過去にない)形で今、表れている。
人間にとっては、多くが苦痛をともなうものであり、大変だろう。だが、魂にとってはまれにみる“飛び上がりたいほどの”チャンスだ。この魂の思いに応えるか否かの答えは、そのチャンスに気づいた瞬間の自分自身が持っているのだ。」
・・・というスピットワールドのメッセージにあるように今、完了したはずの過去世の経験が現在の社会に蔓延している考え、価値観、不平不満などと複雑に絡み合い歪んだ記憶(過去のエネルギー)として、本人の身体に不調や痛みを与えています。
そして、それらが現在あなたの体に表れ、点在する“不調/痛み/歪み“がバラバラの過去世を繋げるルート(道)となって現れてきています。これは、個人レベルで浮上している“過去を一掃せよ“というチャンス(導き)だというのです。ということから、このメニューをつくりました。
過去を一掃するために、あなたの身体の歪みに沿った過去世のルーツと道を辿ります。
構成は、
・過去世の真実のストーリー
・現代社会の古い考え/価値観のすり込みによって、過去の記憶が歪められ浮上し、現世の自分に与えている影響
・上記による身体の反応(負担)
・過去世を繋げるルート(道)と身体の歪み(図解)
注)写真はイメージです。一番近いものを探しました。
<事例>
①米国西部開拓時代
あなたは、独身で1人意気揚々と新しい土地に乗り込みました。周りは家族連れ、特に小さい子供たちを抱えながら貧しい生活から抜け出そうときた人たちばかりでした。
もともと面倒見がよく体力にも自信があったあなたは、”俺は身軽だから後でいいよ。子供たち抱えて大変だろう!”と家を建てる手伝い、農地を耕す手伝いを買って出ていました。
温かいご飯と未完成の家の片隅を与えられ、家族の一員として過ごしていました。自分達は、最初の開拓者たちです。完成しても次から次へと新しい家族がやってきます。その度にあなたは”いいよ。いいよ。後で。俺は身軽だからさ。“と手伝いを続けます。
月日は経ち、最後に来た家族の家が完成した頃、つまりコミュニティ(村)が機能し始めた頃、残っている土地は、村の外れの小さな家一軒が建てられるかどうかの場所でした。その事実に気づいた時あなたは笑いながら”どのみち、この地域全体が俺の家みたいなものだしね!”と言いきったのです。
その通り、あなたは仕事にも温かい食事にも恵まれ、何より温かいたくさんの家族に恵まれて暮らしたのです。
-現在社会の考え/価値観によって現世と過去世が混同し歪められた記憶-
~面倒見過ぎて“出遅れた”開拓者時代~
この“出遅れた“という言葉(現在社会の考え方)が過去の経験を歪めています。あなたは、人との交流を望み(喜びとし)生まれてきています。面倒見の良さは持って生まれているものですが、問題はここではなく、人や社会に対する懐疑心を抱くようにすり込まれています。“人は騙す(裏切る)生き物である。社会は騙し騙され成り立っている。騙されるものが馬鹿なのだ。つまり、お前は馬鹿になるな!!“という教えが強く刻まれています。
この教えの中であなたが一番怖がっているのは“馬鹿になる”という言葉です。騙されることや裏切られることよりも“自分が馬鹿になる“こと怖がり、“馬鹿になりたくない“から“人を信用しない!疑うんだ!”という不思議な定義を生きています。この意味がわかりますか?
あなたにとって、他人に何かを取られたり、嘘をつかれたりすることは大したことではなく、馬鹿になることが嫌なだけなのです。
“馬鹿になる“とは?脳の機能的なことを指しているのなら、他人は関係ありませんよね?体面的なことを指しているのでしたら話を戻しますが、騙されても嘘をつかれても大したことないと認識しているあなたが馬鹿という大雑把で曖昧な他人の個人的感想(評価)を気にするでしょうか?気にしていません。
あなたは、得体の知れない“馬鹿になる“という言葉にただ恐怖を感じているだけなのです。不透明なのに断定的な言葉のマジック(支配)に引っかかっているだけです。
-身体の反応-図参照
①目と首
あなたの身体は恐怖を感じていないため、他人のエネルギーに素直に反応します。その時、“懐疑心を抱きながら見よ!“という命令が届きます。交流を望む身体(エネルギー)を“真っ直ぐ見るな!“と言わんばかりに脳が目と首に“カクッ“と斜めに落とすように急ブレーキをかけます。特に左側の目と首に負担がかかっています。
②中国修行僧時代
あなたは、現在の中国の南西部に位置する寺院に僧侶として入りました。他にやる(やりたい)仕事がないからというのが一番の正直な理由であり、後にこの理由は、ここでの修行生活を送る強み(目的)にもなりました。
教え(哲学的思想)を学ぶこと、奉仕活動をすることには一生懸命取り組みましたが、それ以外の出世に関わるだけの序列を示すためだけの規律や規則には反抗しました。この反抗によって、体罰(正座して石を膝に乗せられる)を何度か受けることになりますが、“仏の教えを説きながら人の体に危害を加えるとは何事でお前たちは何様だ!?“と民衆の前で訴えたことで、その寺での体罰はなくなりました。
そして“他にやる仕事がないからここに居る“という目的を達成しているあなたは、出世競争に入ることもなく、よって規則や規律からも自由になる道を自ら切り開き一生を終えたのです。
-現在社会の考え/価値観によって現世と過去世が混同し歪められた記憶-
~規則を守る気が全くない“すぐキレる“修行僧時代~
気づいている人、気づいてない人、どちらが多いのかわかりませんが、お寺での修行というわかりやすい“規則“よりも、現代社会には目に見えないたくさんの規則が存在しています。
一例ですが、良い人間になりなさい。尊敬される人間になりなさい。大人が発するこれらの言葉によって、多くの子供たちは考え方、精神的、感情的在り方、生き方を制限され(縛り付けられ)、漠然とした大きなゴールに向かって競争を強いられます。
あなたは、今世でも過去と違う自由を求め(実現し)生きるために生まれてきました。それが、今の社会の見えない多くの規則の窮屈さを通して過去の修行僧時代の経験(特に体罰)の記憶と混同し、現代社会の“我慢をしなければいけない、我慢はすべき!“という教え(美学)に対し過去世での“散々我慢を強いられたことの怒り(憤り)“が噴出します。
この時に(冷静に考えるとどうってことないことでも)実際にキレる自分、キレそうになっている自分を感じることがあるでしょう。あなたには関係のない規則であることに気付けば、この混同は無くなります。
-身体の反応ー右の図参照
②腿(膝・ふくろはぎ・足首)
腿に手を置いて座っている時、手で拳を作り、腿にギューっと押し当てています。これは、膝に石を積まれた体罰時の記憶に繋がっています。この体罰を何度か我慢して受けています。『我慢しろ!我慢しろ!』と言い聞かせながら受けていたのです。
つまり、あなたが無意識に拳をつくり腿に押し当てている時は『我慢しろ!』と言い聞かせている時であり、現在の自分に対し自ら体罰を行なっている時間です。
おかしくありませんか?授業中、友人たちとの談笑中、会議中、眠なったにしても、飽きたにしても、集中力が欠け『我慢と忍耐』が必要な時間であっても、重い石を腿に乗せ、腿(膝・ふくろはぎ・足首)に負担をかけてまで“体罰“を行う必要がありますか?
我慢と忍耐は精神的な対処が必要なだけであり、腿(膝・ふくろはぎ・足首)には関係ありません。体罰は無駄な行為であることをあなたが一番知っているはずです。
③スイス農場経営者時代
あなたはスイスのある村のさほど大きくない農場に生まれました。あなたに農場の仕事は、体力的に合っていなかったので継ぐつもりはなく、学業を兼ねて街で暮らしていました。それが、父親の急死によって継ぐしかない状況に追い込まれたのです。
その時、あなたがとった行動とは、自分で一から農場の仕事を学ぶことではなく、優秀な人材を集めることでした。
幸いにもあなたには、人の才能を見極める能力に加え適材適所に人材を配置できる能力に長けていました。ですが、優秀な人材がさほど大きくない農場に来たがる理由がありません。
そこであなたは自分の蓄えを切り崩し、その人たちの能力に合った対価と決定権を与えることでこの理由を作りました。
経営者と言っても、私は農場の仕事をしていないから一番安月給でいいんだという考えが働く人たちのやる気と自尊心を高めたため、この人たちがあっという間、大きな農場へと拡大させていきました。
もともと体力的にも“食べていかれればいい“というスタンスだったので、農場は彼らに解放し(任せ)、自分の身体を気遣いながら、のんびりと暮らしました。
-現在社会の考え/価値観によって現世と過去世が混同し歪められた記憶-
~散歩と昼寝ばかりだった農場経営者時代~
現代の社会では、才能も能力も人それぞれの個性・ユニークさであり、それらをシェアし合うことがコミュニティを豊かにすることであり、社会に還元されることになるという教育はせず、1人の人間がどれだけ才能・能力を持てるか?を競い合い、人それぞれの個性・ユニークさを認めることは競争(社会)からの脱落者であることを認めることだと脅かし、もっともっとと競争を煽るような教育をしてきました。
この現代社会に人の才能を見極める能力を持って生まれたことがあなたに災いしたのか、人が集まると“競争“をされられる前に無意識に自らの頭の中で競争結果を出していたのです。
あなただけに限りませんが、多くの人間は自分の才能・能力“ない“部分を見つける天才であり、あなたの場合、それに加え他者の才能・能力の“ある“部分を見つける天才であったため、あなたが出す競争結果は必然的に自分の“負け“が多くなります。
これに過去世の自分の身体の状態、経験の記憶が歪んで繋がり、散歩と昼寝ばかりしている使えないダメ人間な自分が“想像“できてしまい、そんな自分を毛嫌いすることで現在も無意識下で地味で無意味な劣等感を生み続けています。
-身体の反応ー右の図参照
③胸(肺と心臓)
この過去世では“肺と心臓“が弱く、胸に帽子を置いて昼寝をしていました。適度な重さが心地よいのと、風が胸に直接当たるのを避けるためです。今世にこの症状も病も持ってきてはいませんが、すり込まれた考え(教育)と過去世の記憶との混同によって、負けたこと(自分の才能・能力のなさ)に胸を傷める→散歩と昼寝が多かった農場経営者時代→劣等感→胸(肺と心臓)が悪い・弱いという恐怖が蘇り逆に胸の周辺に負担をかけるという流れができています。
しかも、過去世では、あなたは自分の身体を気遣い“空気の綺麗“な野山で過ごさせながら、風から胸周辺の温かさを奪わないよう(帽子などをかける)していました。
ですが、今世では自ら同じ胸(肺・心臓)部分に負担をかけているにもかかわらず、気遣うどころか温かさを奪うように“空っ風“を存分に浴びせています。風邪をひいたわけではないのに“乾いた咳“が止まらなくなるのは、いろんな意味で“違う!”と言っている身体からの声です。
①と②と③の過去世が繋がる(道がつくられた)ことによるエネルギー的な負担と身体の歪み
右の骨の図を参照ください。
①の考え/価値観が、首から頭部に前傾に圧をかけ
②の考え/価値観が、腿に圧をかけ
③の考え/価値観が、胸に圧をかけることで
腰を軸に湾曲に歪みます。
姿勢が悪いのが原因でも腰が悪いのが原因でもなく、この3つの圧がつくる古く歪んだエネルギーの道によって湾曲になり、腰のエネルギーが定期的に壊れます(痛める、怪我をする)。壊れることでエネルギーが解放されるのは確かですが、この道がつながっている以上、繰り返します。
今後は、誘発しあい、個々に負担が大きくなることで悪化していく可能性があります。
私たちは、これらのルーツと道の存在を伝えることしかできません。ここから先は、あなたの領域です。どう捉え、どう活かすかは、あなた次第です。