1年間の壮大なプロジェクト4

10月27日にレーネンさんが来日しました。いつもなら、空港から出てきて、再開を喜び、車に向かい、滞在先のマンションに行くのですが、今回、レーネンさんは全く見たことがない、知らないレーネンさんでした。非常に痩せてしまったことは知っていましたが、話し方、話す内容、すべてが私が知らないレーネンさんでした。私たちが知っているレーネンさんとは真逆でした。車に乗せ、いつも成田から東京に向かう時に話すようなことを話しかけても、今までのレーネンさんを見つけることはできませんでした。

東京に向かう車中、レーネンさんは座っているだけで痛い、痛いと大声を出し始め、椅子を後ろに倒しました。途中で渋滞にも巻き込まれ止まることもできないので、「あと何分で着くから我慢してね」と伝えながら滞在先のマンションに向かいました。「痛い」と叫びながらも「今ここに金髪のとても美しいスピリットがいる」と言うのです。私は、一刻も早く到着しなくちゃいけないので、あまりその発言に注意を払いませんでしたが、その金髪の美しい男性の話をしていました。これまでとはまったく違うレーネンさんで、私はこれからやっていけるだろうか?そういう不安でいっぱいでした。しかし、そんな状態でもレーネンさんのサイキックパワーは炸裂していました。金髪の男性のことをメインに他にさまざまなことを話していました。

次の日、みゆきさんに電話をすると、みゆきさんが「顔のない金髪の男性が今朝、来たんだけど、これはレーネンさんで、今のレーネンさんはレーネンさんの魂がつながっていない状態。それは、東京に来る前にいた施設での過酷な状況に自分の魂とのつながりを切ってまで対処しようとしたからみたい。もし、魂とつながった状態でそこに対処したら、レーネンさんは特殊能力を使って応戦してカルマを創造してしまうので、魂を傷つけないためにつながりを切った状態で今は魂とつながっていないけど、魂とのつながりを切ってそこに対処するのは、普通は死んでしまうのでできないけど、このケースの場合はこれが最善だった」と言いました。しかし、何でみゆきさんが金髪の男性のことを知っているの?みゆきさんの能力は知っていたけど、あまりにすべてを知っているのでそれにも驚愕でした。金髪の男性、後に私たちはブロンドマンと呼ぶのですが、ブロンドマンは成田でレーネンさんが来るのを待っていたのです。

レーネンさんの特殊能力、レーネンさんは私に自分はこれができる、あれができると言いませんが、昔、「本当に嫌な人がいて、自分は霊的な力でいかようにもできるけど、それはしない。そんなことをしても自分のカルマになるだけ」と言っていたのを思い出しましたし、来日する前、パソコンのない状態なのに私にメールを送ってきたり、ある取引を止めてしまったのを私は知っていたので、みゆきさんの話は理解できました。今、レーネンさんは魂とつながっていない状態であり、だからこんなに前のレーネンさんとはまったく違う、魂がつながらないとこうなるんだというのを見せられました。

その後、まずみゆきさんに来てもらったのです。みゆきさんに会う前のレーネンさんは急にしゃんとして、私が落胆するようなレーネンさんではありませんでした。これまでに私が見たことがない、さらにシャープで精悍な顔になり「みゆき、みゆきが知っているかどうかわからないけど、私たちは同じ魂を源泉としていて、あなたと私は兄と妹、姉と弟の双子として何度も転生をしている。私たちは中国にあまり心地よさを感じないのは、中国での転生の経験にもとづくものだよ。私たちにまったく秘密はなく、お互いにすべてわかってしまう。これまで多くの場合、私はワイルドであなたは私にあなたのこれってどうなの?なんでこういうことをするの?という感じの転生をしてきました」と言いました。すると、みゆきさんが「だから、私はレーネンさんのことが手に取るようにわかるのね。私にとって、別に知ろうとしなくてもわかるってのはそうなんだ」と言いました。次に書きますが、レーネンさんは日本でこれがしたいという具体的なことを話しました。その時点で自分の日本での長い未来をサイキック的に見ていました。

この場面があったので、私は4月から始まった一連の流れは計画されたものだと納得したのです。何かあるとレーネンさんは「みゆきに聞いてくれ」と言いました。そして、レーネンさんはこれまで、自分は誰と同じ魂だとか言ったことが一度もなく、私にもスピリットがあなたにこう言っている、ああ言っているなんて言うことさえありませんでした。それは、相手にいろんな影響を与えてしまうということを懸念していたからだと思います。非常に霊的なルールを守っていた人でした。しかし、今回、みゆきさんにそう伝え、ばななさんの旦那さんの田畑さんに滞在中に自分たちは兄弟だってことを忘れないでと伝えていました。(続く)

多くの方が勘違いしているのですが、私が書くことはレーネンさんの思い出話、レーネンさんてこういう人という、涙を誘うものじゃなく、この一連の流れの中、レーネンさんはさまざまな教え、これからの未来を私に生きる姿を通して教えてくれたものであり、レーネンさん自身もこの一連の試行錯誤の中で決め、受け取る物があったと今、冷静になると思います。究極的に自分を愛し、尊ぶ、それを生きたのでしょう。

レーネンさんは進化の道、みんな仲間で一緒に行こうじゃなく、自分で責任を取る、それに突き進んだということであり、自分でいつも言っていたように自分に責任を取るのは自分、それをベースに選択をしたと思います。最終結果だけを見ると、私や他の仲間たちを巻き込んでおいて身勝手に私たちを置いていくと見えるかもしれませんが、それは人間の感情と解釈をベースにしたものであって究極的に自分に責任を取る、ぶれない選択だったと思うのでさすがねと今は思います。1人でより高みを目指して自分の道を行く、人間としてこまごました面倒なところはありましたが、大きなところではぶれない、それを示してくれました。みゆきさんに挨拶には来たようですが、よしに伝えといてで終わり、それ以降、私の夢にも出て来ないし、本人を感じることもありません。(続く)

伊藤仁彦