完全燃焼して生きる為には縁あって目の前に現れた階段を果敢に登ってみるしかないのです

今朝の気脈メッセージは「目の前に現れる階段はあなたの為に用意されたものなのだ」と語っています。下からでは階段の全景は見えないし確認することも出来ない階段の最上段のその上側には一体どんな世界が広がっているのでしょう。それを知るためにはとにかく一段ずつ階段を登って行かなきゃならない。

 

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あなたの目の前に現れることになる3段目くらいまでの短い階段。古めかしく落ち着いた色合いで年季が入った感じです。3段目から上がどうなっているのかは霧がかかったように視界が遮られほとんど確認することが出来ません。


「そんな先の見えない危なっかしい階段など登って行く気になれない」と感じ無視する人もいることでしょう。それはそれでいいのです。自分の選択ですからね。

でもせっかく自分の為に現れた階段なんだから、、その階段を登り切った上でどんな体験が待っているのかしっかりと見届けてはどうでしょう?場合によっては階段の途中で足を踏み外し、結構高い位置から真っ逆さまに落下することになるかもしれない。それはその時ですよ。そういう最期を迎えることになる運命だったと吹っ切るしかありません。

今朝見えたビジョンでは切り立った崖の下に現れた石段を一段ずつ登ってくとやがてその切り立った崖のい一番頂上に辿り着くことになる光景です。

ロッククライミングの達人なら岩肌に杭を打ち付けたりしながら自力で登り切ることが出来るかもしれないが、一般人である私たちは一段ずつ自分の足で石段を登って行くしかないのです。

ここまで書いてふと今年の9月にメンバーのみなさんと一緒に行ったアンコールワットの遺跡での一場面を鮮明に思い出しました。目的地の遺跡の建造物に向かうには急な石段を慎重に登って行かねばなりませんでした。
 
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  ↑ これは下りの時の光景 手すりはありません
 
突然の雨に見舞われたものですから途中で体のバランスを崩し足を滑らせたなら転落して行き大けがをするとか命の危険さえあったのです。高齢者の私は「ひょっとしてここで自分の人生が終わってしまうかも」と思ったものです。意外に恐怖心はそれほどでも無く、もし転落したなら周りの人に迷惑をかけるなぁという思いが半分、そうなった時はその時だという割り切りの思いが半分だった気がします。


話が外れてしましましたが、今朝の気脈メッセージは「目の前に現れる階段はあなたの為に用意されたものなのだ」を当てはめて考えてみると、最初から階段を登ろうともせず、階段の下で怖気づいてしゃがみこんだまま何も行動しないという姿勢は天意に反するのです。

この先も目の前に階段が現れることがあったならためらうことなく登ってみたいと思います。結果がどうであれそんなの構わない。完全燃焼して生きる為には縁あって目の前に現れた階段を果敢に登ってみることではないでしょうか。