たくさんのドラマが創造されてた

最近、いろんな方たちと会うと、それぞれに変わってしまったような気がします。ある人はよりエネルギッシュで以前のふわふわみたいな感じではなくギラギラしていたり、ある人は以前のドラマチック感はなく、ぽーっとした感じだったり、ある人はまた別のところでコースに参加してさらなる何かを目指していたり。

私が個人的に思うのは、スピリットたちは過去、例えば昭和のドラマもそうでしたが、導く(悪く言えば煽り)ために個人の生活、社会、世界にあらゆるドラマを創造していたと思います。わざわざ愛と憎しみという相反する感情にあふれた家族に生まれ、後ろ髪を引かれながらそこから飛び出し社会にでて自立するとか。そしてそこには涙、喜びなどの感情があり。好きでもない人と結婚するとか、いじめ抜かれて出世するとか。ドラマからレッスンを学んだり、ドラマから創造されたエネルギーをばねにしてより高く飛べるみたいな感じでしょうか。きっとドラマはこの地球にエネルギーを創造するからそのためもあったのかもしれません。今は必要ないですが。その一番いい例がレーネンさんです。本当にドラマチックな人生でした。頂点を極めると地に落ち、家族関係も本物のドラマのようにドラマチック。地に落ちるとまた頂点へと繰り返してきました。

いい悪いは別にして、このスピリット主導のやり方がない今、多くの人がじゃあどうすればいいの?もう年齢だから、丸くなったから、いろんな論理的に自分を納得させていますが、この仕事で長い間その変遷を見ていると、スピリットたちがいない、スピリット主導のやり方ではないということが明確です。スピリットたちはよい悪いは関係なくドラマチックさからエネルギーを創造してたということです。それなのに、過去にすり込まれた価値観で自分が悪いと自分を裁いて反省したり、自分には合わない方法で全く違う方向に暴走したり。なんとなく迷う、わからないなら、もっとわかろう、また過去のように知っているという感覚に戻ろうとすることさえ過去をベースにしていたり。今、ある意味すべてがリセットされ、それぞれの人に新たな指針が必要です。手芸なんてことに興味さえない、合わないと思っている人身体はそれをしてほしいと思っていたり。

自分とともに最初からともにいる身体、今、何と言っているか、半年前とはまた違うさらされているエネルギーにどう言っているか、みゆきさんに聞いてみてください。自分を責めている、裁いているけど実はそれってスピリットも悪かったよねとか、目からうろこという人たちもたくさんいると思います。

伊藤仁彦