Prada

2007年、メルボルンに引っ越しました。友人もなく、オーストラリアのパスポートオフィスで働きました。孤独で、誰も話す相手もいませんでした。私の夢は猫を飼うことでした。ペットシェルターに行くとたくさんの犬、猫がいました。家族が欲しい犬たち、猫たちです。病気で安楽死させられる猫たちを見に行きました。そこには、小さな子猫がおり、鼻水を垂らし、咳をしていました。この猫は病気でした。この猫に決め、家に連れて帰りました。どんな名前にするか考え、プラダにしました。抱きかかえ、元気になるようにしました。私はプラダからインフルエンザをうつされ、病気になり、胸に痛みがひどい状態になりました。プラダが私のそばに来て、看病してくれました。私はプラダに何年も手話を教え、コミュニケーションをしました。ちゃんと学んでくれて、私は耳が聞こえないことを理解してくれました。誰かが玄関に来ると、私に誰かがいるということを伝えてきました。本当に素晴らしい猫です。

飛行機でプラダとシドニーに戻り、家族にも会わせました。家族はプラダを気に入り、いろんなことをたずねました。家族にいつも挨拶をし、額にキスをしていました。私は、プラダにマシューの話をしました。私がマシューに会うと、プラダは私の服と肌の匂いを嗅いでいました。ある日、マシューが家の近くに来ると、プラダはマシューを呼び、家に連れてきました。私はプラダを海に連れて行き、草の匂を嗅がせました。側を歩き、散歩をとても楽しんでいました。

プラダとマシューもよくコミュニケーションをしていました。私には聞こえません。猫があんなにコミュニケーションをするなんて見たことがありませんでした。いろんな声のトーンを使ってコミュニケーションをするのです。私とマシューが仕事でいないと寂しく、周囲に仲間を必要とする猫でした。仕事から帰ると、にゃーにゃー騒ぎ、額にキスをしました。プラダのために新しい猫を迎え入れることにしました。フーバーです。プラダとフーバーは姉と弟で、どちらが私のお気に入りかでケンカをしていました。プラダは私が寝ているとベッドに入って来て、テレビを一緒に見ました。カイリー・ミノーグの歌が好きでした。

プラダを見ると、何が正しく、何が正しくないかがわかりました。最近では甲状腺の問題を抱え、痛みと苦しみがあったと思います。

私の家族として過ごし、家に帰って来て、時間を一緒に過ごしてと言っていました。電話が鳴ると、私に手を振り、ドアに誰かが来ると教えてくれました。人に匂いと音がわかりました。頭がよく、こんな猫はいません。

私は、数日前にプラダを安楽死させました。1週間泣いて、プラダのことを考えました。散歩に行き、紫の木を見つめました。花が散っていました。ジャカランダという紫の木です。11月に咲く木です。たくさんの紫の花が咲いていたときのプラダを思い出します。私の親友でもありました。

☆オーストラリアのアボリジニアーティスト、ダニエル・マクドナルドの作品

☆2022年東京で開催されるダニエル・マクドナルドの個展 Dream