全身全霊がないなら、やる気が本当はない、欲しくないってことじゃないでしょうか?

今、私は摩擦を創造しないということを生きようと思っています。工事をしていて道路を封鎖している人たち、お店、あらゆるところで戦わないを選択しています。戦う、突き付けても結局、自分にダメージが来るだけなんですよね。やる気がないのにお金のためにやるとか、それも摩擦になりますのでやりません。もちろん、生きていかなくちゃいけないなら、生きることを続けたいのでやります。

人にマウンティングを取れるようにお金持ちになりたい。崇められたい、人に自慢できる会社で働きたい、人に自慢できる恋人が欲しい、そういう欲、願いみたいなのがあるなら、全身全霊で頑張ればいいと思うのです。そういうものを本当に実現したい人たちってあらゆる手段を使って実現しています。お先にどうぞとか、霊的になんてこと考えないで自分に正直に一生懸命に実現しようと頑張っています。それがいいか、悪いか、そんなことはどうでもいいと思うんです。実現しても、実現しなくても、全身全霊でやればその結果に自分で直面して、自分に本当に合うか合わないか、自分を知れます。少なくとも自分の中に摩擦を創造しません。

全身全霊で自分の欲、願いみたいなものを実現できる自信がない、努力ができない、その逃げ道としてスピリチュアル業界を利用している人って多い気がします。本当は長になりたいのに「私がやります!私にやらせてください!」と正直に宣言することはせず、誰かの下についてうじうじうじうじ、そして上司と摩擦を起こす。長になりたいなら、そう宣言するか、実績がないならそれに見合う努力をしなくちゃいけないし、そこで努力をしてもだめなら、その努力を別なところで長として「私がやります!私にやらせてください!」と売り込めるエネルギーになるんじゃないでしょうか?自分の欲、願いみたいなものに突進する自信がない、結果が怖いけど、私って本当はすごい人っていうので自分を満足させたいか、突進しないその逃げ道としてこの人生の霊的目的とか、過去世とか、どんな道があるかとか、可能性があるかとか、知ろうとするのじゃないでしょうか?それか、突進するために間違いがないか、うまく行くかを知るために知ろうとするか。それをうまく利用してきたこの業界も問題ですが。突進したい人は誰に聞くこともなく突進しています。うまく行くかどうか、間違ってないかを聞く時点で自分を疑っているということじゃないでしょうか?つまり、失敗のエネルギーを自ら創造していると私は思います。

自分以外の人たちとの摩擦を解消する前に、自分の中にある摩擦を解消しない限り何も解決しないと私は思います。霊的な情報を入れれば入れるほど、欲、願いみたいなものとの摩擦にもなるだけです。まずは、欲、願いみたいなものに全身全霊で取り組むのが重要じゃないでしょうか?その経験から自分の身の丈を知ったり、本当の自分を知っていきます。まずはやってみる。でも、そこに全身全霊がないなら、やる気が本当はない、欲しくないってことじゃないでしょうか?そして、文句、不満を言いながらも続けているものがあるなら、続けられるエネルギーがあるわけだし、少なくともそれを好きで続けていると認めれば摩擦を解消できるんじゃないでしょうか?本当に嫌なら止めます。

伊藤仁彦