私たちは妥協すべきではないことを簡単に妥協してしまう一方、すんなり妥協して通り過ぎてしまったほうがいいことに頑固なまでに意地を張って拒絶してしまうようです

一度きりの人生を偽りの無い本音で生きて行きたいのは山々なんだけど、時と場合によってはある程度の妥協も必要です。

富士山の山の上で日の出を体験したいのなら、無理をせず自分の身体を労わる必要があり、前夜は山頂手前の山小屋で仮眠をし早朝に備えたほうがいいと聞き及びます。

静かな高級ホテルのベッドでしか眠れないなどと贅沢なことを言ってる状況ではなく、あまり快適とは言えない集合ベッドの部屋での雑魚寝環境は覚悟しなければなりません。ここで必要なのは「大切な自分の身体を守る為なんだ。えーい、もうどうにでもなれ」という軽やかさ、つまり妥協です。

しかし、人生上の最も大切な決断であるはずの「結婚」に関しては話は別。自分の正直な気持ちに蓋をし、軽々しく妥協して相手を決めるなんてことがあってはなりません。

周りからの心無い言葉や世間体が気になるのは分かるけど、だからと言ってそれほど乗り気になれない相手との結婚を渋々受け入れ目をつぶって決行したなら、高い確率で後々後悔することになります。

こうして考えると、私たちは妥協すべきではないことを簡単に妥協してしまう一方、あまりこだわらずすんなり妥協して通り過ぎてしまったほうがいいことに対して頑固なまでに意地を張って拒絶してしまう傾向がありそうです。

それが人間らしさなのかも知れないけど、そういう生き方をしている人に出会うたびに、痛々しい思いが我がことのように身をよぎることがあり、思わず「ファイト―!」と励ましのエネルギーを送ってしまいます。私も長年そういう不器用な生き方をして来たからなのでしょうね。