目指すものなんて何もなかった、私が実感していることです。私たちはよりよいものを目指し、それがさらなる何か、さらなる高みへとつながり、まるでここがゴールだみたいなそんなものにたどり着けるような幻想を見せられてきたと思います。
私がレーネンさんと仕事をしていた時代、満足感もあり、達成感もあり、さらなる何かへ向かっているような気がしていました。あの時代、本当にいろんな経験ができたし楽しかったですが今、あの時代に信じていたことも、駆り立てられたものもありません。
あの時代、多くの人がさらなる何か、さらなる高みに行くためにこれをすることは正しい道か?正しい選択か?とレーネンさんにたずねていました。私も正しい道、正しい選択があると信じていましたが今は全くそう思いません。
すべては自分の外にあるものです。何かをしてうまく行く、期待通りになる、成功しても、さらなる何か、さらなる高みがあり、いずれゴールみたいな何かにたどり着くという幻想がある以上、やることや目指すものが変わるだけで同じループをただぐるぐる回り続けるだけじゃないでしょうか。
だから、これをやってもやらなくても、チャレンジしてもしなくてもどうでもよくて、やらなかった、チャレンジしなかったなんて後悔も一切、必要ないと今は思います。ここだなんてゴールはないからです。どうせやっても、チャレンジしても、うまくいってもいかなくてもまた別な何かでさらなる何か、さらなる高みへという幻想が出て来るだけで。
ゴールは死だと今は思います。死というゴールまでせめて楽しむ選択をするか、楽しまない選択をするか、何を生み出すとか、達成するとか、本当にどうでもいい幻想に踊らされているだけだと私は思います。やってもやらなくても死というゴールにたどり着いたら手放し、一切、思い煩うことはない。なぜなら、すべて自分の外にあるもので何を目指しても目指さなくても本当にどうでもいいことだと私はこの落差を経験して思うのです。
何を選択しても経験がもたらされ、その経験で偏ったいいなんてものもないからです。成功した!安定、安定と安定をがちがちに作っても、もしかしたら、そんなものなかった方がひやひやでざわざわして先が見えずに今日をどう生きるかがが実は喜びだったりするからです。今日どうやって食べていこう?今日どうやってお金を稼ごう?そんな日々の方が生きている喜びかもしれないんじゃないかなと。今日はラーメンよりかつ丼かなって小さな情熱の選択が喜びって何かを教えてくれるかもしれません。世界はどう動こうとも、そんな壮大な何か、さらなる高みを目指さなくとも楽しむ選択は可能だと思うのです。死というゴールまで行ければいいだけです。つまり、幻想みたいな思いと自分の中にある本質とのギャップを小さくすればするほど、どんな状況も実は楽しめると思います。その辺はみゆきさんの超得意分野でしょうし、天翔さんがエネルギーを分析してくれるでしょう。
5月1日に阿佐ヶ谷の百瀬食堂でダニエル・マクドナルドさんの個展のオープニングパーティが開催されます。先日、ダニエルさんが書いたムーンストラックの秘話をメールで読んだ時、私はレーネンさんのインスピレーション、励ましを与え生きていた時のエネルギーを思い出しました。これこれ、レーネンさんと仕事をしてきたときの原動力はこれだったと。本当に不思議でした。書いてある内容よりも、そのメールから発せられるもので最後の数か月のトラウマみたいな経験にしがみついていた自分ではなく、その前の長い間のポジティブなことにシフトしてすべてを完了できました。
ダニエル・マクドナルドさんは本当に人間的でキャラがあって、平等さを生き、偏見を生きていません。自由に今を、そして自分の本質を生きている人です。障害があるために社会の幻想に染まらずお金のことなんて考えてないでしょうし、自由に今を生きています。是非、このパーティに参加してください。久しぶりのイベントですし、今年はもうこういうイベントはありません。最後かもしれません。私ももう変わってしまいました。
伊藤仁彦