週末、あるシリーズドラマを見ていて、民主的に多数決で決めるという場面が出て来ました。5対4でも7対3でも、9対1でも1人でも多ければそちらに合わせることこそ民主的であるという考え方に非常に違和感がありました。多数決は民主的であるというのも、誰かの思惑でできたものじゃないかなと思います。私たちは民主的であることは平等で正しいとすり込まれてきましたので、意見の通らない側もより多数派に最終的には合わせることに納得しますが、じゃあ、意見が異なる人たちは間違っているのでしょうか?おかしいのでしょうか?多数派は正しいのでしょうか?よく考えれば多数派だから正しいわけでもないし、少数派だから間違っているわけではなくただの1つの決め方でしかなく、その結果は必ずしも全員が望む理想的なものでもないかもしれないだけのことだと思います。私に別の決め方の新しいアイディアがあるわけではないですが、これまで多数派に合わせるというそのやり方に終わりが来たようにドラマを見て感じました。
このドラマに関してはすべての投票の動機はお金でした。お金を動機にすべてが正当化されてきたし、よしとされてきました。お金を持っている人たちは尊敬されるし、何をやっても許されるし、威圧できるし。このドラマでは大量殺人までしてました。まるで誰かが全体を支配するために、お金をすべての動機に設定し、人々は眠らされ、民主的という名の下に結局支配されてきたような、このドラマからそんな風に感じました。でも、私のような一般人がそれが透けて見えるってことはこういう時代も終わりだなって。
昔、レーネンさんが「すべては変わる。真実だと思ってきたことさえ変わっていく」と言っていました。より高い視点から見ればどれも正しく、しかし高く上がれば上がるほど唯一の真実だと思い込んできたことさえまた変化します。今、どれが全体にとって一番真実で正しいか、誰も答えを持っていません。それぞれがそれぞれにとっての今の真実を知り生きていく時だと思います。
レーネンさんの時代は全体に投げ、同じ道に向かってそれぞれにそれを消化し精進していく時代でしたが今、全体に投げるものはなく、個々のケースで対処していくということじゃないかと思うのです。みゆきさんのブログでいろんな感想を上げていますが、それぞれに違います。ある人は世界中を歩き回り舌を満足させる生き方で自らのエネルギーを消費することに納得した方もいれば、細かい手作業から自らのエネルギーを消費し満足を発見したという方もいます。みゆきさんが事例で上げているメッセージにもそれぞれの方の真実が書かれています。
民主的というコンセプトにずっとすり込まれ納得しているような、納得していないような、でも全体がそういうシステムだからと任せてきた時代に違和感があるように、これまでのスピリチュアル的な導きから自分はできているとかできていないとか、進化しているしていないではなく、今の自分(細胞も含めて)はこの激変の時代に何を望んでいるのかをみゆきさんを通して聞くことは価値があると思います。全員がある意味まっさらの今、新しいところから新しい創造ができるとことにいます。正しい、間違いがないと思い込んできたシステム、構造でさえほころびを感じます。過去のシステム、構造にただ入れられてただけでそれがまあどうであれ、個人個人は満足を生きるかどうかという選択をするかどうかじゃないかなと。
伊藤仁彦