1年間の壮大なプロジェクト8

4月に東京ではセッションルームが洪水になり使えなくなりましたが、レーネンさん自身が仕事ができないので賃料を払う必要もありませんでした。リザべスさんがレーネンさんの居場所を見つけ、訪問してくれました。リザべスさんとの久しぶりの再会を喜んでくれたそうです。どこが悪いという診断ではなく、体がカチカチになり痛み、病院に運ばれ、その後はリハビリセンターに移送され、そこにいたようです。その時の写真を送って来たのですぐにみゆきさんにその写真を送ると、「生まれたてのようだけど、骨と血管が強化され、後はレーネンさんに入ろうとしているエネルギー体を入れるだけだね。このエネルギー体はやる気にあふれていて、すぐにも仕事をすると言っているよ。レーネンさんはこれまで自由自裁にここに行こう、あそこに行こうとピンポイントでいろんな場所、次元を訪問してきたけど、すべてを瞬時に訪問でき、やり方、エネルギー、性格、すべてが変わるけど、このエネルギー体をどう入れるか、それには時間がかかる」と言いました。この新しいエネルギーは、若い男性で半ズボンをはいていました。

それから、数日おきにこのエネルギー体がどうレーネンさんに入るか、みゆきさんが私に伝え、私がレーネンさんに電話で伝えるということを繰り返しました。「極小のウェットスーツに少しずつ体を入れるような感じで少しずつ、少しずつ、体にいながら、体を感じながらこのエネルギーを入れるように」とみゆきさんは何度も何度も言っていて、それをレーネンさんに伝えました。みゆきさんは頻繁にレーネンさんの状況を絵にしてメッセージを書き、辛抱強くどうこのエネルギーを自分の中に入れるかを伝えました。

レーネンさんは、自分のやり方を確立した人で人に新しいやり方で導かれるのは抵抗があったと思います。何かを確立した人、自分なりのやり方をすでに持っている場合、まったく違う新しいエネルギー、新しいやり方を受け入れるのはハンデになる、それを見せられましたが、レーネンさんなら古いやり方を捨て、新しいやり方にスイッチできるだろうとも思いました。

15年以上前に初めてコミュニケーションをし始めたとき、レーネンさんは毎日、私に教えのあるメールを送ってくれました。押し付けもない、ただ何かの教えのあるメールです。その頃、闇落ちしていた私はレーネンさんが送って来るメールの中にあったあるあり方を実践してみました。それは、これまでの私とは真逆なあり方でしたが、そうするとまったく違う結果になり、いつも同じ結果に直面していた私には目からうろこでしたのでそういうすべての人が使えるような、普遍的な教えみたいなものを取り出し、ブログを作り、アップするようになりました。そこが私たちの仕事のスタート地点で、その時はそれがここまで来るとは全く思いませんでした。

ブログを作るともっとコンテンツが必要となり、「メール鑑定をしてはどう?」とたずねると即座に「ノー。自分は対面しかやったことないし」と言われましたが、私は当時、銀行で働いていて別にそれでお金を稼いでいたわけではないので、そうなんだくらいにしか思いませんでしたが次の日「私は狭さがあり、あなたの提案にオープンになるようにホワイトバッファローから言われた」と言ってきました。個人のメール鑑定からすべての人が使えるような、普遍的な教えみたいなものを取り出しブログにアップする、そうやるうちにアクセスが増え、いろんな活動につながるのですが、親子以上に年の差のある私の言うことをちゃんとリスペクトしてオープンにやっていこうとするあり方はとても強い人でした。

私が知っている限りでは、レーネンさんは人と対峙することは得意ではなく、苦手なこと、辛いことがあるとさまざまな次元に行き、対処する、そういう傾向があったと思います。だからこそ、もともと持つ霊的能力は非常に進化したのだと思いますが、この新しい時代には自分も何度も言っていたように過去を手放す。それを本人もやらなくてはなりませんでしたが、みゆきさんに言われた通りに導かれ、だんだん新しいエネルギーが前よりも入るようになっていました。(続く)

伊藤仁彦