私のような社会に合わない、変わった人たちには自分たちを苦しめた過去の構造が崩壊する、エキサイティング

この仕事を始めたのは、レーネンさんが言っていることをちょっと取り入れてみる、そうするとこれまでとは受け取る結果が変わったからです。脳ではこの人間関係、捨てるの惜しいなあ、でももうお腹いっぱいで面倒と感じていた自分をただ尊ぶ。そうするとまったく新しいものが入って来たし、それまでに私がしてきたこと、他人の人生にずかずか入り、要らないものをたくさん持ってと真逆であり、人生のいろんなことが八方ふさがりでした。レーネンさんの言うことはうまく行くし、みんな、自由になるよという、それが私の原点だし今もそう思いますが、10年以上やって振り返ると、多くの人は本当は変わりたくないし、自由になんてなりたくない。これに最近、本当に気づいたんです。私は役立つよ!って本気で真剣に思ってこれまでやって来たけど、みんな同じじゃないんだって本当に最近、気づいたんです。だから、人が変わろうが変わるまいが本当にもうどうでもいいです。

レーネンさん、みゆきさんが書いていること、伝えていること、厳しいとかきついとか思っている方たちもいるかもしれませんが、この人たちは今のエネルギーを言葉に出して表現しているだけです。明らかに個人目線から魂目線、宇宙目線にエネルギーは変化したと思います。それがわかるからこの仕事は面白いのです。それを間近で見ていると本当にもう数年前と違うし、変化しています。IBOKに出しているものに厳しい、きつい、それは個人のパーソナリティ目線での裁きであり、魂目線、宇宙目線から見たら当然のことなだけです。

過去、スピリチュアリティは金、恋人、思いを実現するとか、個人目線でした。こういう結果がもらえるよとか、人間のエゴにまみれたものでしかなく、本当に人間って図々しいとさえ私は思いました。産めよ増やせよ、もっとお金と地球にはそれを支えるだけの資源ってあるのでしょうか?人間を養うためにもっともっと多くの動物が商品として作られ、消費される、こんなことをいつまで続けるのかと思います。個人目線のもの、これからどんどん淘汰されていくでしょうし、生き方も同じだと思います。個人目線から魂目線、宇宙目線、それには痛みをともなう経験ももたらされるでしょうが、どんな結果がもたらされるかわかりませんが、私のような変わった、変ってずっと言われてきた人間には何も背負うことがない本当の自由があるかもしれないと思います。エキサイティングじゃないですか?

かつてドクター・ピーブルズが黄金のみずがめ座の時代、エキサイティングと言いました。最近、その意味がわかります。私のような社会に合わない、変わった人たちには自分たちを苦しめた過去の構造が崩壊する、エキサイティングなんだということだと思います。まったく怖くなんてないし、淘汰されるグループに私が入っているなら、それも貢献の1つでエキサイティングだし。生き残るかもしれないし、それは私の思いが決めることじゃないし、とにかく、これからも私たちは個人目線なんかじゃなく、魂目線、宇宙目線の情報、イベントを提供していきます。せめてこの変化をトラウマなく生きていくかは、より高いレベルの新しい霊的哲学を取り入れるかどうかじゃないかと思います。

伊藤仁彦