昭和のヘビーなエネルギー

友人がマックスさんのセッションを受けた際、私が通訳をしました。マックスさんが友人の娘さんを、人道主義で社会のために立ち上がっていく人生を生きていくよと伝えると、「その通りなんです。すでに小学校でいじめられているひとがいれば校長先生に直談判するような子供なんです」と言いました。マックスさんもブログに書いていますが、これからますます過去の価値観なんてものを一切持たない、意識の高い子供たちが地球に出現するそうです。すでにその前段階の子供たちが地球に生まれ、過去のあらゆるものを壊すので、その生き方に私たちが適応していかなければいけないという話でした。私は友人と、私たちが子供たちに合わせていくオープンさが必要だよねと話しました。昭和の時代の年上は偉いではなく、年上も年下もなく、平等に新しい、過去をまったくもたない若者たちから私たちも学ぶのだと思います。
 
先日、ある人が私にファイティングポーズ満々でやって来ましたが、客観的に見て何の義務もない関係でしたのでそのファイティングポーズには乗りませんでした。過去の価値観をもとに相手は挨拶、説明が最初からあって当然だろうということだと思うのですが、感情的、経済的に何のつながりもない、依存をするつもりも助けてもらうつもりもない、ある意味、距離のある関係でいられるのにと思いましたが、別な私の関係者に怒りをぶつけたようです。なぜそんなことをするのかわかりませんし、その人の問題なのでどうでもいいですが、昭和生まれの私でさえ、ひっつくような、べたべたした上下関係みたいなのを生きていないのに、2000年以降に生まれた子供たちがもっと大人になり、社会に影響を強く与える時代になったとき、昭和の価値観を生きている人たち、別世界に住むことになると思います。
 
挨拶、説明があってしかるべきだろみたいな、過去の価値観を振りかざして人にずかずか入り込む、もう古いんじゃないでしょうか。嫌なら去る、不満があるなら去る、自分に責任を取り、今、自由と自立を生きること、軽いエネルギーを放つことになります。過去を引きずりたくないのにいつまでも過去を引きずる、過去のエネルギーを生きる、それはいつまでも過去に始めた嫌なことをし続けているからだと私は経験から思います。
 
家族、仕事、嫌なら去れば軽いエネルギーを実現します。それが私の過去との決別の方法でした。昭和のヘビーなエネルギー、もう止めませんか?なんと表現していいかわかりませんが着てはもらえぬセーターを編む、食べてもらえない手料理でテーブルの隙間をうめる、読んでもらえない手紙を書くみたいな世界です。多くの人、あれができない、これができないと昭和のヘビーなエネルギーをいろんな意味で引きずっていると思います。もう昭和を超えた平成も終わります。
 
伊藤仁彦