占星術はファンタジーの領域ではないが

占星術を学び始めた頃、天体や天体同士の作る角度が織りなす神秘に魅了されたものでした。なぜ地球で生きる我々にとってこんなにも天空の星々が影響を及ぼすのかと。しかし、占星術を知れば知るほどその深淵というのは科学寄りであり、ファンタジーのようなフワフワした世界ではないということを実感しています。より数学的であり、我々の住む地球が天体からいつ、どの角度で、どの位置でその影響を受けるのかをひたすら計算するということに行き着きます。

個人鑑定であってもそれは同じですが、個人のホロスコープを見る時に少し違うのは、そこに人間の心理的な成長課題を見出すということでしょうか。古代では国の吉凶を占うために使われてきた占星術ですが、その吉凶をそのまま現代の個人レベルに当てはめていくことには無理が生じます。つまりそれは、その個人に良い、悪いを突きつけ救いのない導きをすることに何の価値があるのかということに通じます。ホロスコープに良い悪いはありません。どんなに厳しい配置と思われても、それに対する吉角を見つけ、厳しい配置を和らげるような調和の角度を探します。また、一見厳しい配置の中にも人間的成長を促すような課題やヒントを見出すのです。

また、先ほど占星術が科学「寄り」と言ったのには理由があります。占星術は疑似科学とみなされており、古代は同じ括りであった天文学とは一線を引かれ科学的根拠に乏しいと言われています。天体が人間の持つ性格や運命に影響を与える具体的なメカニズムが示されていないためです。古代から「この配置はなぜだか雨が降る」とか「この時期はとにかく政変が起こりやすい」というのは、なぜそうなるかという因果関係が欠如しており規則性も検証できないため統計学とも言えません。

ただし、ここからが私が占星術を興味深いと感じる理由の一つなのですが、ホロスコープを読む時にはその天体が持つ性質や他の天体などとの角度を見ます (ここでは省略しますがもちろんその他に沢山の要素があります)。そこから導き出される答え(その人の性格、性質であったり、未来に起こりうる出来事)というのは占星術師の読み解き方や主観によって変わります。先ほど出した例だと「この時期は政変が起こりやすい」と読む人もいれば「この時期は天変地異が起こりやすい」と読む人もいるわけです。

確立されていないメカニズムの中、ある程度その個人の特性や未来を予測を当てにいくことができるというのは、その占星術師の手腕にかかっており、かつこの感覚というのは最終的にサイキック能力に拠る部分もあるのではないかと思っています。私の鑑定を受けて下さった方はすでにご存知かも知れませんが、クライアントがより良く生きるための鍵は何だろうと、ホロスコープチャートと会話をしているとストーリーが浮かんでくるのです。もちろんこれは全くのでたらめではなく、そのクライアントの持つ天体の配置や角度を見たうえなのですが、その方の性別、国籍は関係なくこういったストーリーを伝えた方が良いというのが浮かんでくる場合が多く、それは鑑定とともにお伝えしています。

さて、科学というのは現在の技術で観測可能なものを数値化していったものですが、その観測も人間の五感を通じて検証されたものに過ぎないわけです。感覚器官が支配するものが科学であるのならば、未来にその科学自体に大きな意識変化が起こり、占星術も科学の分野にカムバックすることがあるかも知れませんね。

☆アメリカ在住の西洋占星術の研究家のキャサリンのホロスコープリーディング