全ての生命が持っている超感覚、様々な霊的能力もお金や権力に支配された社会になってから、人間の都合の良いように美化され、特別な人間が持つものであり、それを使って他者の望みや願いをかなえる”人助け”の仕事であると思い上がる

本来、全ての生命が持っている超感覚、様々な霊的能力もお金や権力に支配された社会になってから、人間の都合の良いように美化され、特別な人間が持つものであり、それを使って他者の望みや願いをかなえる”人助け”の仕事であると思い上がるにもほどがある(←大きなお世話ですが笑)。勘違いな考えにすり替えられて今日まできた。

だから、直感、フィーリング、超感覚を使うこと、霊的能力の進化も、人生の在り方の自然な流れの中にあるものなのに、『進化』目指そうと必死になっている人たちの意図も自称サイキックを名乗る(仕事をしている)方の意図も『
自分は特別である!』→『多くの人に影響を与えたい』→『一番(教祖的存在)になりたい!』→『富と権力』という現代社会が生み出した『競争(富や権力争い)』の一部となり、それが、今、それぞれの肉体的、感情的、精神的、エネルギー内で浮上するか、争い(トラブル)としての経験を招いています。
 
他者のため、動物・自然・地球・宇宙のため・・・と達成したいと思っていること、考えていることは平和であり、平等だけど、本人のエネルギーがちっとも平和でなく、声、表情、姿勢に『ピリピリ』『キーキー』『ドーーーーん』『ギューーーーっ』という一番上に立ちたい!目立ちたい!それは私だ!私だ!という勝負中の必死さがあふれでています。
 
勝負にしか興味はないため、今の自分のエネルギーの状態が平和と平等の真逆にあることに気づけるはずもなく・・・
信じている考えを貫くことに全力を尽くことで、肉体的、感情的、精神的、エネルギーを壊し続けています。
だからといって間違いなどではなく、それぞれの真実と在り方が違うだけです。
今、これによって、それぞれの気づき、やり方、在り方で導かれているのです。
良かれと思ったからといて、こっちおいでよー!一緒に行こうよ!という自分の考え・真実の押しつけは、新たな『競争(富・権力争い)』の火種となるだけです。
どんな状況・状態であっても、人間の考え(価値観)を超え、それぞれのハイヤーセルフが、宇宙がそれを許している(介入している)ということを忘れないでください。
  
この勝負中の人たちではなく、自分は直感がない、フィーリング、エネルギーなんて感じない、だから霊的能力の進化なんてそもそも興味がないと諦めている派の人たちに向けての話があったのですが、長文になるので、次回にします。