昨日は人は分かったつもりになっているだけで結局何もわかっていないことが多いというお話を書きました。頭の中の知識や願望と目の前の現実とがたまたま符合した時に「やったぞ!真実に出遭った」と舞い上がってしまうからです。
しかし、日が経って急速に気持ちが冷め、そんなこともうどうでもよくなって忘れてしまうことになります。当然、自分を閉ざし覆っていた硬い殻の状態には何の変化も無く、本当に眩い光が差し込むかのような感動や真実と出遭ったのかどうかは定かでは無いのです。
今朝の気脈メッセージは「気付きとは人の内側に備わっている数ある宝箱の内の一つの蓋が開くことだ」と語っています。すなわち、外部から気づきの内容が訪れるのではなく、自分の内側にあった宝箱の蓋が開いて光を伴う気づきが明らかになることらしい。
繰り返しますが、私たちが受け取るのは気付きという名の外側からの情報データではなく、自分の内側に眠っている宝箱の蓋を開ける為の一つの鍵なんだと思っていた方がよさそうです。